毎度世間を騒がせている坂口杏里さん。
昨年結婚しラブラブをアピールしていた時期もありましたが結婚からわずか1年2ヶ月で離婚となりました。
そんな坂口杏里さんの母は大女優で57歳の若さで急逝した坂口良子さん。
良子さんはおっとりとしたイメージも強いですが、実はその裏で波瀾万丈な人生が。
今回はそんな坂口良子さんの死因について、そしてその57歳で閉じたとは思えないような壮絶な人生について調査。
その中で坂口杏里と母・坂口良子の関係も見えてきました。
どうぞご覧ください!
目次
坂口良子さんの死因は大腸癌
57歳の若さで逝去
坂口杏里さんの母・坂口良子さんは2013年3月27日午前3時40分にお亡くなりになっています。
まだ57歳という若さでの死ということで、世間に衝撃が走りました。
坂口良子さんの死因は横行結腸(おうこうけっちょう)癌です。
最終的には癌で併発した肺炎ということですが、直接的な原因はこの横行結腸の癌によるものです。
この横行結腸癌というのは大腸癌の一種。
大腸の主要部分である結腸の一部で腹部の右側にある上行結腸の上部と、左側にある下行結腸の上部を繋ぐ部分。
大腸がんは当時の日本国内で女性の死因1位。
しかも57歳の若さでの逝去は癌の恐ろしさを改めて世間に与えました。
2011年秋から闘病生活がスタート
坂口良子さんの病気ですが闘病生活は2011年の秋にスタートしました。
最初のきっかけは激しい腰痛。
こちらの治療のため病院に行き腸閉塞と診断されたとのこと。
この治療時に大腸に初期の癌が見つかり、病気との戦いがスタートしました。
「2年前、坂口はロケ先の鎌倉で急激な腹痛に襲われ、病院で腸閉塞と診断されました。その治療時に大腸に初期ガンが見つかったのです。あの時、緊急入院という状態だったのに、坂口は周囲に迷惑をかけたくない一心で鎌倉から東京の病院まで自身で運転した。あの精神力ならきっと病魔に打ち勝つと信じていたのに…」
リアルライブより
その後も半年間2〜3日に一度抗がん剤治療を続け、副作用の脱毛や吐き気にも悩まされていた。
しかし、そんな状況でも専属のヘアメイクさんに完璧な「女優・坂口良子」に仕上げてもらい仕事を続けていたと言います。
2012年12月に最後の番組収録後、手術を受けるために入院。
当初は3ヶ月で復帰の計画だったようですが、2013年3月27日にお亡くなりになりました。
かなり近い関係者以外には病気のことは公表せず、娘の杏里さんにも亡くなる直前まで明かさなかったと言います。
杏里さんを思っての判断ですが、これが後に義父との関係を悪化させる要因となってしまいます。
義父と杏里さんの現在の関係はこちら↓↓↓
坂口良子の壮絶人生
出生〜芸能界デビュー
1955年10月23日に北海道余市郡余市町に生まれた坂口良子さん。
余市町立東中学校、小樽双葉女子学園高校(現双葉高等学校)と高校入学時までは地元北海道で過ごします。
1971年16歳の時にミス・セブンティーンコンテストで優勝し芸能界入り。
高校も都内の堀越高等学校に転入。この学校で卒業しました。
デビューの翌年には「あこがれ」という曲でCDデビューをし、主演ドラマなど順調に芸能活動をスタート。
その後も数々のドラマや映画で活躍していきました。
結婚〜2人の子供の誕生
仕事も順調な中、坂口良子さんは1986年31歳の時に18歳年上の不動産会社役員の田山恒彦さんと結婚しました。
田山さんはゴルフ場や都市開発に関わる「本州開発」の常務で「地上げの神様」と言われる存在。
この時点でバツ2で、良子さんと結婚当時には18歳になるお子さんもいたよう!
その後1989年には長男・直彦さん。1991年には長女・杏里さんが生まれました。
直彦さんと杏里さんの現在の関係はこちら↓↓↓
離婚〜借金40億を返済!
全て順調だと思われた1994年に良子さんと田山さんは離婚をします。
離婚当時、田山さんは「本州開発」を退職し独立。
しかしバブルが崩壊し1992年には田山さん所有のビルも差し押さえられ多額の借金を抱え倒産。
ここまでなら時期も悪かった・・・とまだわかるのですが、悲惨なのがここから。
なんと田山さんは良子さんのマンションを担保に借金をしたり、実印を勝手に持ち出し連帯保証人にしてしまいます。
その結果、坂口良子さんに10億円の借金が押しつけられました。
かなりの高利貸しだったようで最終的に良子さんが支払った金額は約40億。
本気になった良子さんはわずか10年でこの借金を返済しました。
こちらに関して娘の杏里さんが怒りのストーリーを上げています。
この借金返済がどれだけ過酷だったかを近くで見てきた杏里さんだからこそ、実父である田山恒彦さんへの恨みも深くなってしまったようですね。
40億の借金を押し付けた田山さんの現在はこちら↓↓↓
プロゴルファー・尾崎健夫さんと再婚
2012年8月10日にプロゴルファーの尾崎健夫さんと再婚をした坂口さん。
この2人は約10年ほどの事実婚を経ての結婚となります。
約10年というと良子さんはまだ借金を返済していた時期。
その時からしっかりと支えとなってくれていたのだと思います。
当初はもっと早く再婚の話があったそうなのですが、「お母さんを取られる」と思った杏里さんが大反対。
今思えばこの時点で良子さんの闘病はスタート。
最後にきちんとした夫婦の形で終わりたかったのだと思います。
わずか半年ほどの結婚生活となってしまいました。
尾崎さんと杏里さんの現在の関係はこちら↓↓↓
坂口杏里と母・良子の関係。全て子供たちへの行動だった
坂口良子さんは結婚後の人生をほぼ子供達のためを思って行動しています。
子供たちに迷惑をかけたくないと必死に借金返済のために働く日々。
しかし一方で寂しい思いをさせてしまっているという罪悪感も持ち続けたとのこと。
尾崎さんとの再婚も杏里さんの反対意見を優先させ、10年以上経てからの再婚となりました。
杏里さんが同じ芸能界の道を進むと決めた時も、親子共演という形で必死にサポートをしています。
慣れないバラエティにも2人でよく共演しています。
日本テレビ系『踊る!さんま御殿!!』で共演時は、同番組で行われた『おバカGP』で杏里さんが優勝したことをきっかけにブレイクし、知名度を全国区にさせました。
その後も、『メレンゲの気持ち』などでも親子出演を果たしています。
どうにか娘にスポットを当ててあげたいという親心がひしひしと伝わります。
そして、最後亡くなる直前まで杏里さんに病名は伏せられていたと言います。
これは女優業が本格化している大事な時期に心配をさせたくないという配慮からでした。
結婚後常に生活の中心が子供たちだった坂口良子さん。
非常に愛情深い人だったことがわかります。
まとめ
坂口杏里さんのお母様・坂口良子さんの人生について見てきました。
かなり波瀾万丈な人生を送っていますが、その中でも良子さんのバイタリティを感じます。
借金も返済し「これから!」という時に57歳という若さでお亡くなりになってしまったことが本当に悔やまれます。
現在娘の杏里さんは様々なところでお騒がせタレントとして話題になっています。
そして最愛の人を見つけたと思ったら、わずか1年で離婚に・・・
それを天国で見守る良子さんはどんな気持ちで見ているのか。少しだけ心苦しくなります。